【二宮和也】映画ラーゲリ試写会での助言が物議?暴れる・尖るの解釈

【二宮和也】映画ラーゲリ試写会での助言が物議?暴れる・尖るの解釈
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嵐の二宮和也さんが主演映画「ラーゲリより愛を込めて」(12月9日公開)の高校生試写会にサプライズ登壇しました。

この試写会で二宮さんが高校生に向けてアドバイスをされていますが、ネットでは物議となっているようです。

二宮さんはどんなことを語ったのでしょうか?

目次

【二宮和也】映画ラーゲリ試写会で高校生へ助言

嵐の二宮和也(39)が22日、東京・旗の台の文教大学付属高校で、主演映画「ラーゲリより愛を込めて」(12月9日公開)の高校生試写会にサプライズ登壇しました。

高校生たちと同じ高1でデビューした当時を振り返り「とがってましたね」と明かしています。

「みんなは15歳とか16歳くらいか。ちょうどデビューした時。とがってた気がします。自分の考えが一番正しいと思っていた年代だと思います」と回想し、苦笑いした。

「だから、20歳くらいまでとがってていいんじゃないかな。ダメかな? そんなこと言っちゃ。先生ごめんなさい」と笑わせた。

引用元:Yahoo!ニュース

なんだか二宮さんの人柄がでているやり取りだなと感じます。

さらに「先生方は大変かと思いますが、この時にとがっていたほうが、大人になって丸くなれる。大人になってとがるのが一番、痛い。だから今、先生たちに怒られたほうがまだいい」と説明。「先生たちはね、心が広いから。甘えましょう。とがっていいんじゃないかなと思います」と“ニノ流”でアドバイスした。

引用元:Yahoo!ニュース

筆者世代はこのアドバイスはよくわかります。

イベント終盤には「若い時って、若さが才能であることに気づきにくい。おじさんたちって後がなくて。ギリギリで生きています」と言葉に力を込めた。「親の管理下であるとか、先生たちが見てくるとか、いろいろ窮屈な思いもしているかもしれないけど、そこで永遠に失敗できる。暴れまくっていいんじゃないかな」と助言。「もちろん事件性が強いものはダメだと思うけど、ちょっとのいたずら、ちょっとチャレンジ、許してくれると思うので。そういうのも含めて経験してほしいなって思います」と締め、大きな拍手を浴びた。

引用元:Yahoo!ニュース

「若いときは永遠に失敗できる」、これは格言ですね。

とても素敵な試写会だったのではと想像します。

【二宮和也】映画ラーゲリ試写会での助言が物議?

この二宮さんの高校生への助言に対し、ネット上ではさまざまな意見があり、物議となっています。

私は二宮さんの話に共感しましたが、反対意見が多いのを見て良く考えてみたら、尖るの意味が曖昧なのは良くないですし、まだ大人になりきれていない当事者たちに直接言うような話ではないと思いました。 聞き手の道徳レベルを知らないで、ただ怒られていい尖っていいでは、意図しない解釈になり得ますよね。 高校生は発達上はアイデンティティ確立の時期で、それが反抗期として現れてたくさんの葛藤を通して成長する時期だから、ただ受け身で良い子でいるのでは人格形成上懸念はある。その時期の子に向かって「さぁ反抗しなさい」とアドバイスするというのは、違うかなという気がします。この時期に健全な葛藤ができるかどうかは、育ちの環境に左右されるはず。影響力を持つ有名人とはいえ、通りすがりの部外者が本人に向かってどうこう言う話ではない。

「もちろん事件性が強いものはダメだと思うけど、ちょっとのいたずら、ちょっとチャレンジ、許してくれると思うので。そういうのも含めて経験してほしいなって思います」 ↑ ちょっとのいたずら、ちょっとのチャレンジには 「いじめ」「喫煙」「飲酒」「無免許」は入っていると 高校生は勝手解釈するだろうなあ。 「事件性が強いものはダメ」ではなく、「法律に違反する行為といじめはダメ」 と言わないと。 そもそも曲解されやすい内容は、メディアはいちいち取り上げなくていいと思うけど。 彼の発言にはそれなりに影響力があるわけで、若者が自分に都合がいいように解釈できる内容なんだから。

私は二宮さんの話の意図を学生達も分かり拍手だったんだと思います。二宮さんが15.6歳までは自分の意見は正しいと思い尖っていたと言っていて、若い内なら色んな人に怒られながらも守られ成長出来る。型にはまらず自分の意見も言っても大丈夫だし色んな事にチャレンジして大丈夫だよと寄り添ってる感じがして学生達も気持ちが楽になったと思います。ただ実際の話を聞いてない方が読む記事としては、誤解を受けやすいので見出しにするべきでは無いと思うし暴れる、尖るを使うなら補足をしながら意味を捉え間違えない様な記事の書き方をするべきだと思います。

伝えたいことは分かりますが、この言い方だと受け取った側の後の行動を知った後で後悔するかもしれません 話と言うのは結局相手がその時にどう思い理解するかが全てであって、伝えた側が「そういう意味ではなかった」と思っても遅いのです だからこそ伝える時が一番大事なんですよね そこまでの配慮をした上で伝えられる人が多くない今だけに、影響力の大きい人は色々考えた上で発言してもらえたらと思います

若いころは、とがることで社会との距離感を覚えます。いわばマウンティング行為です。しかし、かつては、その若者に、教師や大人が、体罰を含めた厳しい対応で若者に「行為のさじ加減」を「指導」できていました。今は、それが「ハラスメント」や「体罰」として認められていません。若者にとがることを許さない時代になりました。それを社会で考えないと、若者は育ちません。二宮さんの言葉には含蓄がありますが、その続きを考えたいものですね。

一方でこのような意見もあります。

様々な経験し、苦労をし失敗も沢山重ねてきたから言える言葉だと思う。 学歴が高いだけでは言えない言葉だ。 反対意見が多かったことに驚いたが、その意見をみると、二ノ宮さんの言葉の裏にある、真に伝えたいメッセージがわからないかな? 学校の先生の気持ちを考えながら、まわりくどい言い方で生徒たちに精一杯伝えようとしてるメッセージがわからないかな。 仕事していても思うのだが、ほんと額面どおりにしか理解できない、乏しい想像力の人が多い。 その想像力は常に悪い方であり、双方の関係は自らが攻撃されている向き。 逆にはっきりストレートに言うと怖いとか酷いとか言うしね。 同じ言語を使っていても伝わらない… 現代における難しい問題だ。

二宮さんのアドバイスを曲解して本当に問題のある行動をとる高校生というのはたぶんそんなにいないでしょう。取り越し苦労かなと思います。 普通に、今の高校生全般にちょっと欠けている部分を巧みに言い当てていて、よく観察しているなと思います。「尖る」という言い方をしていますが、ここ20年ぐらいの間に全体として「羽目を外す」とか「ぎりぎりを攻める」とか、そういう背伸びをする子が減っているのは事実です。高校生の服装を見ていれば分かるかと思います。町中で、強い違和感を覚えるような服装の子は皆無です。空気を読む傾向は以前より強まってきている印象があるので、教員としてはかなり楽ではありますが、たとえば行事などで「ぎりぎりを攻め」て教員側が肝を冷やすようなレベルのことは、生徒の成長という観点で必要なことだろうと思います。今の穏やかな生徒たちが、いくばくかでも創造性の点で力を減じてしまうことは何とか避けたい。

引用元:Yahoo!ニュースコメント

暴れる・尖るの解釈

今回は試写会で二宮さんが高校生に向けてのアドバイスを取り上げました。

ネット上でもさまざまな意見がありますが、

筆者は「暴れる・尖る」の解釈は、失敗を恐れて挑戦しないよりは、少し周りに迷惑をかけるかもしれないが、

それが人として成長していくよい糧になるという二宮さんのメッセージだったと解釈しています。

ただ、ネット上での指摘も一理ある意見も多く、

二宮さんの発言の注目度がわかります。

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